絵を描く、木を彫る、紙を摺る。木版画のすべてが好き。
竹中木版6代目摺師・原田裕子氏
西武池袋本店で開催されていた「ニッポンのいいもの POP UP SHOP」で、可愛い木版摺りのブックカバーを見つけました。柚子やだるまさんをデザインした、ポップでどこか懐かしい感じのする版画の作者は、京都の竹笹堂で摺師をされている原田裕子氏。「Kizuki.Japan」では、以前江戸木版画の髙橋工房を取材しましたが、同じ木版画でも京都と江戸では少しテイストが違うように感じます。原田氏がどのような経緯でこの道に入られ、どんな作品を手掛けていらっしゃるのかに興味を覚え、お話を聞きに向かいました。
子どもの頃から図工が好き、中でも版画が好きだった
竹笹堂は四条烏丸から程近い街の真ん中ですが、その一画はさすが京都と感じられる町家が軒を連ねていています。通されたお部屋はワークショップでも使われているとのこと。手づくりの机が並んでおり、坪庭が見渡せます。そこで原田氏にお話を伺いました。
まずは版画との出会いをお聞きすると、にこやかに微笑みながら
「小学校の4年から6年に木版画の授業がありました。図工は以前から好きでしたが、絵を描いて、それに合わせて木を彫り、絵具を塗って紙を摺っていく版画が自分には一番合っていたようです。学校から賞をいただきましたし、卒業後に10年ぶりくらいに先生にお会いした時、『木版画の原田さんだね』と先生の印象に強く残っていたみたいです」
偶然だった竹笹堂との出会い
その後、生まれ育った鹿児島から京都の大学に進まれます。教育大の教育実習で木版画をやることになりましたが、どのような材料の準備が必要かということがわからなくて途方に暮れたそうです。
「画材屋さんでも思ったように揃いません。ツテもないのでタウンページで調べると竹笹堂がありました。電話をした相手が後の師匠となる竹中健司さんでした。取りあえず来なさい、ということになりました」
偶然ともいえる出会いでしたが、そこから原田氏の木版画への想いは加速していきます。
「それまで木版画が仕事になるとは思っていませんでした。京都に来てから工芸的なものがいっぱいあり、木版画もその一つだと認識するようになりました。また、東京の木版画は浮世絵が完成された土地だけあって浮世絵中心のイメージがありますが、京都は浮世絵だけでなく、日本画の複製や本の製作、料亭や和菓子の掛け紙など、さまざまな役割を持っています。ぜひやってみたいと考えるようになりました」
大学卒業後は、迷わず木版画の道へ。竹笹堂に入社し本格的な修行を経て、数々の作品を生み出しました。その経験と実力が認められ、現在は竹中木版6代目摺師となったのです。
木版画のおもしろさとむつかしさ
あらためて木版画のおもしろさ、むつかしさをお聞きしました。
「絵を描くだけでなく、彫って摺ってということがおもしろい。手間はかかりますが、自分の描いたものが、どのように紙に表現できるか。毎回、驚きや発見があります。エッチングも大学時代にやりましたが、摺り上がった時の線の感じや、作業の進めやすさから木版画が自分には身近に感じられました」
木版画のむつかしさも毎日感じているそうです。絵具をのばす刷毛や紙を摺り上げるバレンの力の入れ方や、紙の湿らし方も一定にしなければなりません。もちろん仕事としては、1枚だけいいものを仕上げるのではなく、決められた枚数をできるだけ同じ品質で仕上げる必要があります。
「まず忍耐力がいりますし、途中の失敗が後々まで響いてきます。また、まったく同じクオリティを再現していくのは無理だと思いますが、それを目指していくからこそ完成度の高いものができると感じています。むつかしさを感じる一方、技術はちょっとずつ上がっているのかなといった楽しさもあります。ただ、1000枚とかになると飽きてきますし、何をやってるんだろう、早く終わりたいなと思うこともあります(笑)」
作品によっては、細かな絵柄やボカシを入れる絵柄もあります。最終的にはどういうことに気を使って摺られているのでしょう。
「摺師には摺師なりのリズムがあります。手早くリズミカルに、そして丁寧に摺らないと、絵師や彫師がいくらいい仕事をしても、きれいな木版画ができません。逆に原画よりも摺りが上手くいけば、きれいに見えることもあります。そういった意味で、やっぱり最後の摺りが要(かなめ)なのかなと思います」
手仕事への想い
以前は作画、彫り、摺りと一人で全部行っていましたが、現在は作画と摺りのみ行い、彫りは同じ竹笹堂の彫師の方に任せているそうです。任せることによって原田氏自身は、何か変化されたことはあったのでしょうか。
「自分でやれば、ハンドリングはしやすいです。例えば、途中で気持ちが変わって、原画よりもここは細かく彫りたいときは自分でそうすればいい。ただ、自分が表現したいものを彫れる腕があるか、特に細かいものを彫る自信があるか、こうした技術的な不安が摺りにも影響してくると大変です。今は全面的にお願いして、作画と摺りに専念できています。もちろん、彫師の方との制作上のコミュニケーションも大切にしています」
絵師としての仕事はパソコンを使わず、すべて手描きだといいます。
「パソコンはあまり得意ではありません。自分で描いて、切ってみて、貼ってみないと分からない。そういえば以前、パリでクリストフの銀細工工房を訪れました。そこで感じたのはもちろん出来上がりの素晴らしさですが、驚いたのは一流デパートで売られている銀細工のスプーンも一人の職人がロウでつくった型からはじまることです。一番根っこの部分は、手でやっていますね。私たちと同じように手仕事なんだと思いました」
広がりを感じさせる、新たな試み
和紙一面に散りばめられた花や果物などのパターンは、ひとつ一つがデザインとして完成されていますが、その一枚で完結するのではなくつなぎ合わせるとさらに大きな版画になります。これは絵柄の配置を計算しており、複数枚をつなぎ合わせることで「広がりを感じさせる」表現。原田氏はそれを「連柄」と名付けました。
「別に新しいことではありません。この版画の画面で終わるのではなく、もっと広がる表現、連なっていく表現をデザインにしたいと思ったのです。長い布を送って描かれる帯のように」
やはり京都らしく、京友禅などの影響があるようです。こうした作品は、ブックカバーのパターンや手ぬぐいなどに活かされています。
浮世絵講座にもインバウンドの姿
多くの観光客が訪れる京都では、工芸家が主催するワークショップも人気となっています。竹笹堂では原田氏がレクチャーしています。
「ワークショップでは、主に浮世絵講座を行います。大体が外国の旅行者の方で、クリエイターの方も来られます。木版画をされていて、浮世絵を知っている方もいます。それがどのようにつくられるのか、もっと技術を知りたいという方や、刺激を得たいという方もいらっしゃいます」
木版画を実際にされている方からは、質問も専門的になるようです。
「講座では北斎の浮世絵を使います。8版(8回絵具を付けて、紙を摺る)のものですが、その中でグラデーションの仕方も説明します。限られた時間の講座ですが、熱心に学ばれています」
19世紀後半にヨーロッパで人気を博し、モネやゴッホにも影響を与えた浮世絵。21世紀の京都の浮世絵講座は、クリエイターに刺激を与え、新たなアートを生み出すきっかけになるかもしれません。
もっと多くの人に見ていただくことで、技術が残っていく
今後のどのような木版画をつくっていきたいかをお聞きすると
「自分の周りの人にもいいなと思ってもらえる版画をつくれるように、それは依頼作品であっても、自分の作品としてつくり出すものであっても、いい版画を残したい気持ちは同じです。もっと多くの人に見てもらわないと、木版画は途絶えてしまう。この技術が残っていくように、いいものをちゃんとつくれる技術を保ちながら、新しいものもつくっていきたいと思っています」
最後に海外での活動についてもたずねると
「日本でも世界でも、新しいアートがどんどん生まれています。ただ、その場所だからこそ生まれるものがあると思います。例えば、ニューヨークでつくるのと、パリでつくるのではまったく違う感じになる。何を表現したくなるかは、その場所で決まってくると思います。京都と違うところへ行って学びたい気持ちもあります」
今後も原田氏の京都での活躍を期待していますが、もし好きだというパリに行くとしたら、そこではどんな木版画が生まれるでしょうか。花や果実、だるまさんはどんなモチーフに変わっていくのでしょうか。できることなら、パリでつくられる木版画もぜひ拝見したい、そんな想いを抱き京都を後にしました。
摺師 原田裕子氏
鹿児島県生まれ。大学から京都へ。教育実習の準備が縁で竹笹堂の竹中健司氏を知り、在学中から師事する。卒業後は本格的な職人修行を経て数々の制作に携わる。経験を重ね、その実力を認められ竹中木版6代目摺師を襲名。現在は木版画の代名詞でもある浮世絵をはじめ、日本画壇の巨星たちの木版画作品に携わり、数少ない職人のひとりとして、手仕事によるものづくりの現場で活躍している。
竹笹堂
1891年(明治24年)創業。それから130年余、浮世絵や日本画の複製から、料亭や和菓子の掛け紙、寺社関係などの庶民の暮らしを彩る商業印刷まで、さまざまな京版画の伝統技法を継承。一貫して木版画を作るため彫師を有し、絵・彫・摺の工程がひとつの工房でできる工房として成長し、企業からの依頼による木版画をいかした商品のパッケージ提案や、古版木や古版画の修復・復刻事業、昔の絵具の調査などをも手がける。