伝えていく― そこから自分自身も成長する
房州うちわづくり講習会 講師:太田美津江氏
最盛期に比べると激減している房州うちわ職人
千葉県館山市。良質の女竹(めだけ)の産地として、かつては“江戸うちわ”の材料供給地であった。ところが明治時代に館山でもうちわをつくるようになり、それが“房州うちわ”と呼ばれるようになる。1923年の関東大震災後、江戸うちわの問屋や職人が館山に移住してからは、房州うちわは一大産業として定着し昭和の初め頃には年間7~800万本生産する最盛期を迎えた。
「残念ながら今は職人の数も激減し、職人を束ねる親方も3人となってしまいました。そこで房州うちわ振興協議会は、11月から12月にかけて『房州うちわ従事者入門講座』を開催しています。ただ、せっかく入門講座を終えてもその後に学ぶところがないことと、障がいを持つ方にもうちわの製造技術を習得してもらいたいとの思いから、『房州うちわ伝福連携の会』が主催して講習会を開いています」
3年前からうちわ講習会のプロデュースを行っている房州堂山元氏は、房州うちわの現状をこう語る。現在の生産量は、年間約2万本。やはり他の伝統工芸と同様、生産量の維持と後継者育成は緊急の課題だった。
受講者の年齢、経歴、キャリアもまちまち
房州うちわの工程はおおよそ21(細かな部分を入れるとさらに10工程ほど増える)に分けられる。取材時に行われていたのは、寒い冬の時期に伐採された竹の「皮むき」。枝になる芽の部分を切り落とし、皮をむく。うちわの柄と骨の部分にするための地味ながら大切な工程。会場にはブルーシートが敷き詰められ、講師の太田美津江氏と5人の受講者が作業している。作業の合間を見て受講者に話を伺った。
「子どもの頃、うちわを使った盆踊りで丸い柄の房州うちわは、特別のものと感じていました。つくる人が減っていると知ってぜひ残したい、次の人に伝えていくものを目指したいと思い参加しました」(1年目の吉良氏)
「ものづくりがもともと好きでした。埼玉から千葉に引っ越した時に房州うちわのことを知り、それでやってみようと思いました。今では一通りのことができるようになりました」(3年目の柳田氏)
講習会には、以前に入門講座を受けたことのある人や、別のところで修行していた人も参加している。
「5年くらい前に入門講座に参加しました。その後、自分で竹を取って来て一人でやってみましたが、どうもうまくいきません。2年前から『貼り』の仕事をやらせてもらっていますが、その前の骨の工程もやってみたくなった。それで4年くらいのブランクがありますが、今年の1月から講習に参加しています」(1ヶ月目の宮岡氏)
「地方公務員を退職した後、人生あと20年くらいあれば、何か一つまとまったものができると思い、うちわづくりにチャレンジすることにしました。それで2年ほど別のところで修行していましたが、師匠が高齢のため続けられなくなった時に、ちょうどこの講習会が始まり参加しました。なんとか一通りできるようになったので、イベントや道の駅などで販売しています」(5年目の柴田氏)
さらに、外国の方も参加している。
「コスタリカから日本に来て19年、館山に来て15年になります。まだ始めたばかりですが、ものづくりが好きだから楽しい。せっかく房州うちわの産地に住んでいるから、やってみようと思いました」(3ヶ月目の出口氏)
たまたまこの日は障がいのある方は休まれていたが、彼もメキメキ上達しており、うちわづくりの分業を任せられるようになっている。
後継者育成は少しずつでも実りつつある
房州うちわ唯一の伝統工芸士で親方の一人である太田美津江氏は、作業しながらも受講者の質問にていねいに答えている。
「私で四代目になります。でも、あとを継ぐつもりはなかったし、親のやることを見て育っただけ。手取り足取り教えてもらっていませんし、修行らしい修業はしていません。怒られたこともなく、親は私のやっていることを見て、『それでいいんじゃないか』というくらいでした」
以前なら親方は、荷造りと納品書、請求書、領収書が書ければできた。親方の下には、職人たちが大勢いたからだ。
「今はそうもいきません。私自身全工程ができなければ教えることもできないし、良し悪しも分かりません。職人を育てていかないと廃れてしまう危機感を持っています」
だから、この講習会では全工程ができる人を育てるという趣旨がある。なぜなら、こうして育った人なら独立して仕事を受けることができ、さらに新たな人を育てていけるからだ。
「うちわづくりは1日2日で覚えられるものではなく、本当にやる気のある人でも3年くらいかかります。工程が多く、どの工程も熟練しないとやっていけない。でも、皆さん熱心に取り組まれているので、この先が楽しみです。ここから伝統工芸士が出てきてほしいと思います」
うちわの基本的なつくり方は、確かにこの講習会で修得できるだろう。でも、その後はどうやって職人として育っていくのだろうか。
「最初はちゃんとしたものをつくることで精いっぱいでしょう。でもそのうちお客さんから、こんなうちわをつくってほしいと言われると今までとは少し違ったものをつくろうかと思う。私もそうですが、基本は大きく変えないでアレンジしてみようとする。私の父親がうちわに紙ではなく、浴衣地を貼ることを始めたように…。職人を育てていくのはお客さんなんですよ」
伝統の上に胡坐をかくのではなく、積極的に市場を拓く
後継者づくりには明るい日差しが見えてきた房州うちわだが、これからは仕事自体も増やしていかなければならない。それには認知度を高めることが欠かせないと房州堂の山元氏。
「伝統工芸品を集めた展示会。例えば、羽田空港で行われたインバウンドを意識した展示会へはまた参加したい。機会があれば、その他の展示会にも積極的に参加したいです。それと海外で活躍しているデザイナーにオリジナルブランドのうちわをつくってもらい、海外で販売する計画もあります」
うちわづくりで生計を立てていくには、まず仕事を増やさなければならない。仕事が増えれば、生産量を増やさなければならない。そして生産量を増やすには、機械ではつくれない手仕事だから、さらに後継者を増やさなくてはならない。つまり、太田氏や山元氏の所属する房州うちわ振興協議会のプロジェクトはスタート地点からわずかに走り出したところ。先を目指して、息の長いレースを期待したい。
房州うちわづくり講習会 講師:太田美津江氏
房州うちわとは
「京うちわ」「丸亀うちわ」とともに称される日本三大うちわのひとつ。竹の丸みをそのまま生かした丸い「柄」と、竹を48~64等分に割いた「骨」を糸で編んでつくる半円の「窓」が形態的な特徴。絞りや友禅染、沖縄の紅型など多彩なデザインがあり、浴衣地などを貼っているものもある。平成15年に国の伝統工芸品に認定されている。
うちわの太田屋
太田屋は東京で江戸うちわをつくっていたが、太平洋戦争によって房州に移住。現在は四代目の太田美津江氏が中心となりうちわづくりを続けている。
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