若手ならではの柔軟さ、女性ならではの感性で伊勢一刀彫を伝えていく。
伊勢一刀彫 一刀彫結 太田結衣氏
ザクッ、ザクッと鋭い刃のノミが木を削っていく。削られた木片が飛び散り、カタチが削り出されていく。伊勢神宮の宮大工が余技として縁起物を彫ったのが始まりといわれる伊勢一刀彫。そこにも新しい可能性を切り開こうとする若い職人の姿があった。
職人の名前は太田結衣氏。幼い子どもを持つ小柄な女性。ノミばかりでなくチェーンソーなども使うという工房は、迫力に満ちていた。
子どもの頃から「えと守」には親しんでいた
高校の頃は繊維デザイン科で学んだという太田氏。木彫の世界に進もうと思ったのは、いつ頃からだったのだろう。
「最初は油画で美大を受験しようと思っていましたが、卒業制作で絵を見ている等身大の自分自身をつくりました。これがきっかけで360度の空間を変えていくという面白さを感じ、女子美術大学の短大で彫刻を学んだ後、多摩美術大学の彫刻学科、木彫専攻に編入しました」
大学卒業後は作家志望だった彼女が、伊勢一刀彫の職人を目指したのは三重に生まれ育ったからではない。子どもの頃から木彫りの「えと守」が常に身近にあり、そういった職人さんにも憧れていたという。
「当時は伊勢一刀彫という伝統工芸は知りませんでした。『えと守』の職人さんを探そうとしたのですが、すぐに見つけることはできませんでした」
そして、たまたま相談した先輩が今の師匠である岸川行輝氏の知り合いだった。すぐに岸川氏に会い、弟子入りが許されたという。
伊勢一刀彫=「えと守」ではない
伊勢には伊勢神宮の宮大工もいれば、伊勢根付もある。もともと木に親しむ文化や木彫りの技術は広く根付いていたのだろうか。
「伊勢の一刀彫の歴史は古くからあったといわれていますが、三重県の伝統工芸として確立されたのは戦後のこと。中村良記さんという方が昭和初期に伊勢の新しいもの、伊勢らしいものを取り入れて始めました。一刀というのは一本の彫刻刀で掘るのではなく、“一刀両断”というように一度ノミを入れただけの荒削りの面をそのまま生かしたもの。磨いたりはしません。大胆さや力強さと同時に、温かみが調和されているところが魅力と感じています」
もちろん干支を彫ったものが多いが、それだけではなく伊勢らしいものとして神の鶏である「神鶏」、主人の代わりにお参りにきた「代参犬」、無事に帰る「カエル」などがモチーフとされている。さらに太田氏は、暮らしの中に使われるものを伊勢一刀彫で表現している。キーホルダー、ピアス、オモチャ、アロマディッシュなど、オリジナル作品は今後も増えていきそうだ。
そこにあるだけで、ほっこりできるような一刀彫
作業は常に鋭いノミをはじめ、刃物を使って行われる。危ないと思ったことや怪我はなかったのだろうか。
「女性は男性に比べるとどうしても力が弱いので、彫るときの姿勢や木の持ち方などいろいろと工夫しています」
同じようなモチーフを彫るという工程でつくる一刀彫は、独創的な作品にはなりづらいが、作品にはやはり人となりが出てくるという。
「師匠の作品は男性らしさの中に愛嬌や可愛らしさも感じます。私の作品はよく女性らしい、愛らしいといってもらえます。細かな部分のデザインなどがそうなのかもしれません。私としては暮らしの中にあって、それを見るとほっと出来るような、心が豊かになるような一刀彫を目指しています」
伊勢一刀彫を広く知らせていくために
最盛期は15人くらいいた伊勢一刀彫の彫り師も今は太田氏を入れて4人のみ。当然、このままではいけないという危機感はある。
「師匠に入門した頃は、『えと守』を彫る仕事として考えていました。ところが伊勢一刀彫を知るにつけて、また『常若』のメンバーと出会い多くの刺激を受けて、仕事として割り切ってやるのではなく職人としてやっていきたいと思うようになりました」
そして、「常若」の活動とともに東海地方の女性職人グループ「凜九(リンク)」では、コラボレーションや展示会などを行い、作品の幅を広げている。
「実際の職人の姿を見せること。女性で子育てをしながら、職人として作品を作っていることを知ってもらいたいのです。ワークショップや百貨店での販売会では、ぜひ手にとって感じてほしい」
太田氏の伊勢一刀彫を広く知らせていこうという努力はこれからも続いていく。こうした活動は若い世代に届き、次の人が働く場所づくりや働きやすい環境づくりにきっと貢献していくことだろう。
伊勢一刀彫 一刀彫結 太田結衣
伊勢一刀彫 一刀彫結 太田結衣
三重県出身。2010年、多摩美術大学彫刻学科・木彫専攻を卒業。伊勢一刀彫師の岸川行輝氏に師事し、現在、伊勢神宮の『えと守』授与品などを主に制作している。同時に、三重県の若手職人グループ「常若」や、東海地方の女性職人グループ「凜九(リンク)」で活動し、展示会やワークショップなども行っている。