民藝運動から生まれた型染め和紙の生活用品
越中八尾和紙 桂樹舎(けいじゅしゃ) 吉田泰樹氏
「桂樹舎の型染めと和紙展」に展示されていた赤や黄色の箱、幾何学模様のクッションなど色鮮やかで粋な和紙製品は、異彩を放っていた。
「桂樹舎の型染め和紙は、私の父が、染色工芸家の芹沢銈介先生と一緒に研究して生まれた紙です」と、語る2代目の吉田泰樹氏に会うために、富山市八尾にある桂樹舎の工房を訪ねた。
民藝運動の父、柳宗悦に薫陶を受けて
越中八尾一帯で漉かれた「八尾和紙」は水に強く、江戸時代には「越中富山の薬」を包む紙として重宝された。桂樹舎の和紙も八尾和紙の流れをくむが、漉いた和紙にシワ加工を施し、沖縄の紅型と同じ手法で型染めをするのが特徴だ。
和紙の上に模様を彫った型紙をのせ、その上からもち米と米ぬかを混ぜた防染糊をひく。次に顔料で地染めをして、デザインに応じた色を重ねる。仕上げは、水洗いと乾燥。すべて手作業だ。
この型染和紙の誕生物語は、戦前にさかのぼる。吉田氏の父、桂介氏は三越百貨店の呉服部で働いていたが、結核を患い、療養のため八尾に戻った。
「親父は、療養しながら製紙指導所で紙漉きの講習を受けたそうです。その頃、柳宗悦の『和紙の美』を読み、和紙をやろうと決めたと聞いています」
やがて桂介氏は、柳宗悦と親交があり、民藝運動にも参加していた芹沢銈介と出会う。紅型の技法で作品を作ろうと、水洗いにも耐えられる和紙を探していた芹沢は、桂介氏に相談した。これがきっかけで型染め和紙の染色技法が開発される。そして、芹沢は自らデザインした型染カレンダーを1946年頃から制作しはじめた。ところが、
「芹沢先生の工房だけでは制作しきれなくなった。父は芹沢先生に手取り足取り教えていただき、カレンダーの制作を手伝うようになりました」
後に「型絵染」(かたえぞめ)と呼ばれる技法は、1956年に重要無形文化財に認定され、芹沢は人間国宝の指定を受ける。一方、1946年から和紙メーカーとして「越中紙社」を運営していた桂介氏は、1960年に型染め部門を独立させて「桂樹舎」を立ち上げた。型染和紙というオンリーワンの技術で、斜陽の紙漉き業に挑んだのである。
普段使いの和紙グッズを作り続ける
「越中紙社は、和紙の色紙の草分け的な会社でした。そして、桂樹舎は和紙グッズの先駆けです。最初は札入れのようなものを作ったようです。その後、1969年頃からクッションを作っていました。紙で帯や浴衣、ベストも作りましたが、当時は受け入れられなかった。カレンダーの復刻版は、今も作っています」
なつかしそうに“和紙グッズ史”を語る吉田氏は、大学の経済学部を卒業後、芹沢染紙研究所で修行を積み、1978年に八尾に戻った。「家業を継げば食っていけるだろうと、当時は甘い考えでしたよ」と苦笑するものの、20名の従業員を率いて桂樹舎を守ってきた。
日頃から「グッズのクオリティを高めることに力を入れている」という。人気の型染め商品は、名刺入れ、ブックカバー、ノート類、箱などだ。
最後に、和紙の将来についてお聞きした。
「十分に生き残れると思いますね。ただ、今の日本人の生活の中で、和紙はなくても支障がない。その中でどう取り入れてもらうか。うちでは、クッションカバーや壁紙、照明器具などはデザイナーとのコラボレーションでオシャレなものを作っています。あくまでも日常的に使うものとして」
生活道具に光をあてた民藝運動。その精神は、今も越中八尾和紙の型染めに息づいている。
吉田泰樹
1953年、富山県生まれ。大学を卒業後、芹沢銈介に師事。型染めを学び、1978年より家業に従事。2003年、越中紙社と桂樹舎を統合。有限会社桂樹舎代表取締役に就く。ショップと喫茶室を併設する「桂樹舎和紙文庫」も運営し、国内外の紙製生活用品を展示。紙漉き体験と合わせて越中八尾和紙の普及に努めている。
桂樹舎和紙文庫
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