江戸文化を受け継ぎ、現代風に活かし、未来につなぐ
江戸木版画 高橋工房 高橋由貴子氏
2021年は、葛飾北斎の生誕260年にあたる。そのため都内各所で北斎にまつわる美術展が開催され、多くの人でにぎわった。また歌麿や写楽、広重などの作品展もいつも人出を集めている。こうして見ると浮世絵は日本美術史で独自のポジションを得ているとともに、現在も国内外から人気の高い伝統工芸といえるだろう。そんな浮世絵、つまり世の中のことを色鮮やかに描いた木版画を、江戸時代と同じ製法で作る工房が東京にある。
生まれ育った職人の家だから、自然に“好き”になっていった
江戸木版画は、原画を描く絵師、版木を彫る彫師、版木に絵の具をのせ和紙に摺りこむ摺師の分業制でつくられていた。高橋工房は摺師の家系で創業は安政年間。6代目の高橋由貴子氏は柔らかな笑みを浮かべて語った。
「伝統工芸を生業とする家に生まれましたから、職人さんの働く姿や芸術・文化は好きでした。ただ、会社員のような規則正しい働き方に憧れていたので、自分自身は職人になろうとは思いませんでした」
それがなぜ、6代目になったのだろう。
「高校生の時に父からウチワのデザインを頼まれ、やってみました。やはり“好き”だったんですね。職人さんをうわべだけ見て大変さばかりを感じていましたが、実際にやってみると楽しさがわかるようになりました。そのうち、4代目からやっていた版元の仕事を任されて面白く感じるようになりました」
版元とは、いまでいえば出版プロデューサー。絵師、彫師、摺師などの職人を束ね、企画を立て世の中に出していく仕事になる。
版元だからできる、国内外に江戸木版画を伝える役目
ところが、6代目を継いだ当初は江戸木版画自体が残るかどうかの状態だった。そこでこの伝統を守るために、NPOを立ち上げる。そんな中、外務省から舞い込んできたのは、海外に日本の伝統文化を広める仕事。アジア、アメリカ、ヨーロッパで講演会や実演、ワークショップを行った。さらに、経済産業省から各国の美術館のミュージアムショップのマーケティング調査の仕事なども入ってきた。それで、海外との美術館やキュレーターとの縁が出来たという。
「私は版元として職人全体の仕事を把握していますし、また木版画工芸協同組合の理事長をやっていた関係で、木版画の歴史や現在どんな状況か話ができます。実際、いろいろな講演やイベントに参加していました。そういったことからお声がかかったのだと思います」
浮世絵の復刻と同時に、現在の作家とのコラボを大切に
江戸木版画といっても、江戸時代の浮世絵の復刻をする仕事ばかりではない。工房には北斎といっしょにウルトラマンや建築家のデッサンの木版画が額装して飾ってある。
「浮世絵の復刻は、技術を継承していく意味でも大切な仕事です。ただ浮世絵もつくられた当時は伝統工芸でもなかったし、美術品でもなかった。役者や芸者のブロマイド、旅行に誘う写真のようなものでした。だから、浮世絵がその時代の現在を切り取ったように、私たちも伝統技術を用いながら今の感性や時代にあったものをつくっていくべきだと感じています」
職人を育てながら、さらに夢は広がる
伝統を受け継ぐためには、職人の育成も大切な仕事になる。また、ワークショップなどで一般の人に江戸木版画の面白さを伝え、体験してもらう活動も地道だが欠かせない、
「うちの修行は挨拶や社会人としての一般常識から始めます。さらに、職人として極めたいと思った人は別の職人さんに預ける場合もありました。今までに男女4人の職人が巣立っています。職人の技術を高めるためにもいろいろな仕事を出したいですね」
現在は最後の浮世絵師といわれる月岡芳年の復刻や、建築家・隈研吾のデッサンを江戸木版画での再現、他にも文京区からの仕事もあって忙しい。また、来年は東京都や国からの大きな仕事も控えている。それでも版元として、やってみたいこともあるようだ。
「少し時間ができたら、『豆本』と『絵本』をやってみたいです。ハンガリーで見つけた豆本は表紙が陶器でした。これを日本各地の陶器を使って、中は江戸木版画でやってみたい。絵本ももちろん、浮世絵のようなビビットなカラーでつくってみたいのです」
160年にわたる技術を活かしながら、今をときめく作家たちとのコラボレーション。さらにデジタル技術との組み合わせも関心があるという。北斎が新し物好きであったように、江戸木版画も新しいものを取り込みながら、まだまだその世界を広げていくようだ。
職人一本という思いではなく、アーティストとしての活動も続ける
工房の2階で摺師の早田憲康氏は黙々と作業していた。大学で彫刻を学び、漆を使ったアートを手がけていたが、アルバイト募集に応じて木版画の世界に入ってきたという。摺りの難しさはどんなところかを伺った。
「まず、版木は木ですから季節によって、また水を使うので伸びたり縮んだりします。紙は手漉きの和紙ですから季節や和紙職人によって条件は少しづく変わり、いつも同じ条件とは限りません。でも、職人としては100枚なら100枚、同じ結果、同じレベルの製品を求められます。絶えず摺の状態を確認しながら、絵の具の微妙な色も調整しながらやっていく必要があります」
一つの木版画で、色によって版木を変えながら10回程度摺り込むという。
「絵の具の載せ方や摺り具合で、カスレや色の濃淡、グラデーションを出していきます。同じ版木を使って最初は絵の具をベタっと載せて摺っていき、その上に調子をつけていくような感じです」
なるほど、色数が増えれば増えるほど手数が多くなり、時間もかかる。量産するのは難しいが、その仕上がりは鮮やかで人を魅了する。だからこそ価値があり、将来に伝えていかなければならない貴重なアートといえるのだろう。
(取材:2021/8/25)
江戸木版画 高橋工房 高橋由貴子
創業安政年間。江戸木版画摺師として、また版元として代々その技術を継承。6代目の高橋由貴子は平成21年に就任した。伝統技術を伝承する舞台を整えるべく、版元としてさまざまな木版画の商品や催事を企画する一方、海外での講演会、実演会、展示会などを行い、日本文化のPRに努めている。東京伝統木版画工芸協同組合理事長をはじめ、さまざまな伝統技術や伝統工芸の組合でも活躍している。
早田憲康
東京造形大学出身。大学では彫刻を専攻し、漆を扱い工芸品の修復や海外のアーティストのサポートを経験後、約10年前から江戸木版画の世界に入る。現在もグループ展に出展するなど、アーティストの活動を続けている。また、講師として大学で教えている。