世界のアートシーンを創るAwagamis Fine Art Washi

アワガミファクトリー 一般財団法人阿波和紙伝統産業会館 藤森洋一氏

 徳島市から1時間ほどの離れた吉野川市山川町。田園風景を残す住宅街に、打放しコンクリートに漆喰を組み合わせた蔵造りの建物がいきなり現れる。阿波手漉和紙を生産している阿波和紙伝統産業会館だ。外観同様に館内もモダンで、エントランスの一面を覆うガラスの向こうには、手漉き和紙の作業場が広がっている。
 「うちはお客さんが来ても全部公開。だから、受注製品を作るときも守秘保持契約できない」と、藤森洋一氏は、いたずらっぽく笑った。

逆転の発想で新路線を築く

 阿波手漉和紙は1,300年もの歴史を誇る。しかし、戦後は生産者が1軒に減り、最後の砦を守ったのが藤森氏の父親、6代目の実氏だった。大学の経済学部を出た藤森氏は、斜陽を承知の上で、ごく自然に紙漉きの世界を選んだ。それから40余年。伝統工芸士として和紙を漉きながら、竹やマニラ麻など多彩な植物素材を使ったアート用和紙を開発していく。そして、現在、「アワガミファクトリー」のブランドは、国内外のアーティストに知られるほど成長した。
 「従来の和紙は薄くて繊細で丈夫な紙。それに対して、うちのは巨大で分厚い紙です。24歳の時に、『手漉き和紙大鑑』という本が出版された。越前和紙とか本美濃紙とかを見て、同じものを作ったのでは競争にならない。和紙の特徴について、“薄くて丈夫”という表現が多いことに気づいて、ほな、それとは反対の紙を作ればいいかなと」
 紙はごわごわと厚く、サイズもメートル単位。国際的なカナダの写真家、グレゴリー・コルベール氏の特注で作った紙は2.4m×5.1mもある。

世界的なコラボレーターも注目

 阿波和紙伝統産業会館では、1989年からアーティストに設備を貸し出していた。ドイツやフランスなど各国からアーティストが訪れていた中、1992年に、アメリカの版画界でつとに知られるタイラー・グラフィックのケネス・タイラー氏がやってきた。
 「ケネス・タイラーはアーティストを2、3人連れてきて、1週間貸し切りで作品を作ったり、講演もしたかな」
 そもそも海外で和紙が注目されるようになったのは、1960年代以降、アメリカの版画界で、紙パルプによる手漉き紙が使われるようになったのがはじまりだという。タイラー氏は手漉き紙の導入に熱心で、デイヴィッド・ホックニーをはじめ、著名アーティストの作品を世に送り出していた。そんな大御所の滞在は、アーティストとのコラボレーションに乗り出した藤森氏を、さぞ勇気づけたことだろう。
 「アーティストといっしょに制作するのは面白いです。お互いにアドバイスをしながら作っているので、私自身は同等だと思っています」
 こう胸を張る藤森さんの紙は、フランク・ステラ、リチャード・セラ、サム・フランシス等々、世界的に著名なアーティストたちにも使われている。

海外からの研修生

新分野と表裏一体で守る藍染和紙

 山川町一帯では、江戸から大正期に全国を席巻した藍染和紙を作ってきた。その技術は藤森氏の母親ツネ氏から嫁の美恵子氏へと受け継がれている。
 「うちのおばあさんは研究熱心で、いろんな手法を考え出しました。私も自分がやったという手法を見つけたいですね」

 藍染和紙はインテリア用のオーダーも多く、サイズもデザインもさまざま。それぞれにあわせた手法が求められる。加えて紙質や気温、洗い流し方などに神経を払いながらの作業。まさに匠の技だ。美恵子氏は笑顔でこう語った。
 「染めがうまいこといって、きれいにできたなと思うとうれしいですね。で、それをスマホで撮ってFacebookに投稿すると、いいね、いいね、してくれる」
 コルベール氏に「阿波和紙を作る職人は世界の宝」と絶賛された職人たちの進化は、止まることを知らない。


藤森洋一

藤森洋一

1947年、徳島県生まれ。大学卒業後、父親に師事して紙漉き職人に。壁紙や印刷用などの機械漉き和紙、和紙製品を製造する富士製紙企業組合を経営。一般財団法人阿波和紙伝統産業会館の理事長も務め、体験講習会、展覧会などを通じて阿波和紙の普及に取り組む。2016年、阿波手漉き和紙製造技法の保持者として徳島県の認定を受ける。


アワガミファクトリー 阿波和紙伝統産業会館

  • 〒779-3401
  • 徳島県吉野川市山川町川東141
  • 営業時間
    9:00〜17:00
  • 定休日
    月曜日(祝日の場合は翌日)
  • TEL
    0883-42-6120
  • http://www.awagami.or.jp
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jaen