きれいな文化を、後に紡いでいきたい
ハタノワタル氏
このサイトの取材を申し込んだとき、ハタノ氏から「印刷会社さんだったら、手漉きの和紙に印刷できないですか」との問いかけがあった。即座に「トライさせてください」と返答した。ただし、こちらも任せてくださいというほど和紙に対して十分な知識やノウハウはない。弊社のプリンティングディレクターや外部のデザイナーなどに相談して、何とか対応できる印刷会社にたどり着いた。お預かりした和紙と写真データを印刷会社に渡し、和紙に海の写真をスミ1色でオフセット印刷する。なんとか刷り上がり、取材日にお持ちすることができた。
トライアルの和紙印刷は、新たな作品へのプロローグ
「きれいですね。波の細かいところまで再現できています。この和紙と色紙を合わせて市松模様にし、デパートのエントランスに飾りたいと思っていたのですが、残念ながら提出していた別の案になりました」
印刷された和紙を見ながら、穏やかな笑みを浮かべるハタノ氏。今回は企画が変更になるという結果となったが、新たな作品の構想はすでに頭の中にある。その時は、トライアルではなく、仕事でお願いしたいとの言葉をいただいた。
修行から15年は和紙作りに心血を注ぐ
美大で油絵を専攻していたハタノ氏が和紙に目を向けたのは、キャンバス代わりに支持体として和紙を使ってみたいと思ったから。中でも一番強度があると紹介された黒谷和紙に興味を覚えた。美濃や小川も試したが、実家が淡路島という理由から、実家に少しでも近い京都の黒谷で紙漉きの修行を始めた。それから20年が経った。
「2年間修行したら独立ということでした。カリキュラムがあるわけでもなく、仕事を与えられて、ひたすらこなしていきます。特定の師匠もいませんでした」
この仕事の難しさは紙を漉くことよりも、紙の精度を上げること、決まった時間に決まった数量をきちんと納品する納品の精度を上げること、そして作業全体のスピードを上げていくことだという。そこをクリアしていくことに全精力を使った。
「15年くらいは、バタバタでした。ゆとりが出てきたのは、この5年くらいです」
自分で作って、自分で発信して売る
和紙作りが軌道に乗ってくるに従い、展示会への参加も増えた。国内で年間10回くらい、最近は中国とか台湾にも行く。アメリカでもニューヨークやロスでグループ展に参加した。
「中国や台湾は、あまり反響が良くなかった。これからという感じです。陶器など見て分かるものは、すぐ反応しますが、和紙は使ってみないと良さが分からないからでしょうね」
ただ台湾のお茶の先生や中国のギャラリーの方が実際に和紙を使っていると、使ってみたいという人が徐々に増えていく。日本でも同じで、和紙の良さは知っていても、強さの実感はないし、使い方もわからない。だから和紙の使い方を提案するために、展示会に参加している。
「段階を踏んで、和紙の良さが浸透していけばいいと思っています。展示会に来るお客さんも徐々に増えています」
展示会ではコースターや皿、箱などのプロダクトを展示しているが、今後はアートワークの作品をもっと増やしていく。それは、和紙アーティストであるハタノ氏としては、当然の流れだし、本領発揮ということだろう。
仕事を紡ぐと同時に暮しを紡いでいく
和紙の良さを知らなければ、和紙の需要は伸びていかない。フスマや壁紙、テーブルなど長く使うものは、耐久性も必要だ。風合いや手触りの良さだけでなく、和紙にその力があることも伝えていかなければならない。
「使う人が増えると、作る人も増える。産地や作り方、原料も守られる。結局、仕事が無いと何も守れないんです」
ハタノ氏の自宅近くには、まもなく紙漉き場や乾燥施設を備えた工房ができる。それはもちろん事業を拡大するためのものだが、この仕事に意味と可能性を見出し、未来につなぐための彼の決意でもあるのだ。
ハタノワタル
1971年、淡路島生まれの京都・綾部市在住の和紙職人。多摩美術大学絵画科油画専攻卒業後、黒谷和紙の研修生となる。和紙の制作のみならず、小さな箱から、家具、内装、オブジェや絵などのアート作品まで幅広く手掛け、各地の展示会などに出展している。